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STAFF ESSAY

エヴァを思い出すと、私は人生を思い出す。

父親の膝の上で見た『新世紀エヴァンゲリオン』から、友人たちと待ち続けた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』、そして家族と見た『シン・エヴァンゲリオン劇場版』まで。作品そのものより、その周りに積み重なった時間について書いてみます。

作品:ヱヴァンゲリヲン新劇場版Anime Match スタッフ個人的な体験・感想を含みます

『新世紀エヴァンゲリオン』を最初に見たのは、父親の膝の上だった。まだ「オタク」という言葉すら、今ほど一般的ではなかった時代だ。私は4歳だった。当時の私にとって、父親というのは無条件に自分を愛してくれる存在で、何もかも分かり合えている。そんなふうに思っていた。

もちろん、エヴァの内容なんて何ひとつ分かっていない。巨大な何かが戦っている。怖いものが出てくる。大人たちが難しそうな話をしている。たぶん、その程度だったと思う。それでも楽しかった。アニメが面白かったのかどうかすら、今となっては分からない。ただ、家族と一緒に何かを見ている。それだけですべてが満たされていた。

そんな記憶が、私にとってのエヴァの始まりだった。

オタクであることが、誰かと繋がる理由だった頃

中学生になった頃、「オタク」という文化が少しずつ形を持ち始めていた。今のようにアニメを見ることが当たり前でもなかったし、オタクという生き物はどちらかというと異端視される側だった。だから逆に、「自分、オタクなんで」と、あえて斜に構えていた時代があった。

はじかれ者同士でつるんで、世の中とはちょっと違う自分たちであることを、どこか誇らしく思っていた。そんな集まりの中では、エヴァンゲリオンみたいな「いかにも」な作品の名前がよく挙がった。そういう作品を知っていること、好きであること。それ自体が、オタクというアイデンティティの一部だったのだと思う。

今振り返れば、なかなか恥ずかしい。でも、当時は当時で、それによって誰かと繋がっていることに安心していた。

エヴァンゲリオンは、子供には当然難しかったが、大人になって見ても普通に難しい。何が正しい解釈なのかよく分からない。人によって見えているものも違う。私は別に、誰かと熱心に考察を語り合っていたわけではない。ただ、自分の中で「あれはどういう意味だったんだろう」と考えることが好きだった。たぶん、分からないものを分からないまま抱えて考え続けられるところも、エヴァが好きだった理由の一つだった。

高校生の頃、エヴァがもう一度帰ってきた

高校生になった頃、突然『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』が始まった。これはもう、大いに盛り上がった。青春真っ只中のオタクたちにとって、昔から名前を知っていたあの作品が、現代のクオリティで作り直される。それだけで嬉しかったし、友人たちと何度も見直したのを覚えている。

2007年に『序』が公開され、『破』が出たのは2009年。さらに『Q』は2012年。待つ。とにかく待つ。しかも、Qで終わらなかった。

そうこうしている間に、こちらの人生の方がどんどん先へ進んでいった。高校を卒業して、大学へ行った。進む場所はみんなバラバラになった。考えることも、付き合う人間も変わった。そして私は、少しずつ「オタク」というものから離れていった。

アニメから離れた時間

オタク仲間以外の人たちと付き合うようになって、それまで自分がいた世界が、かなり偏った場所だったことにも気づいた。世の中にはアニメ以外にも楽しいことが山ほどあった。それまで知らなかった人たちがいて、それまで知らなかった遊びがあって、それまで知らなかった価値観がある。

そのうち私は、どこか心の中で「オタクだった自分」を否定するようになっていた。これは認めなければいけないと思う。自分はもう違うんだ、と。昔の自分とは違う、普通のまともな人間なんだと、どこか無理やり思い込もうとしていた。あるいは、通り過ぎてしまった青春を取り戻そうとしていたのかもしれない。とにかく、がむしゃらに生きていた。

単純に仕事が忙しくなったこともある。アニメを見る時間なんてない。ライトノベルなんてもってのほか。漫画ですら、ときどきスマホで読む程度になった。そんな時代が、かなり長く続いた。

高校時代の友人たちとも、いつしかほとんど連絡を取らなくなった。今どこに住んでいるのか。何をしているのか。そんなことさえ分からない人もいる。一緒にエヴァを見ていた人間たちは、それぞれの人生へ流れていった。私も、その一人だった。

振り返ることが増えた

最近になって、人生の時間を振り返ることが増えた。「懐かしいな」と思うことが多くなった。人間は変わっていく。好きなものも変わる。嫌いなものも変わる。やるべきことも、立場も、人間関係も変わる。ずっと同じでいるというのは、思っている以上に難しい。

「変わっていく」というより、流されていく、という方が近いのかもしれない。それでも、ときどき昔のことを思い出す。あれはよかったな、とか。あれはダメだったな、とか。なんであんなことをしていたんだろう、とか。でも、あの頃はあの頃で楽しかったな、とか。まあ、いろんなことを思う。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、家族と一緒に見た

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、家族と一緒に見た。面白かった。いや、面白くないかな? とも思った。でも、やっぱり面白かった。

なんというか、一区切りついた感じがした。エヴァにも。そして、妙なことに自分にも。家族もなぜか似たような感想だった。どういう意味なんだ。私にもよく分からない。

でも、まあ。なんか、よかったんだろう。別に結末なんて、なんでもいい。何かが始まって、長い時間が過ぎて、そして終わる。それが大事なのだ。

……というのは、ちょっと格好をつけすぎかもしれない。個人的には、最終的に誰と誰がどうなるのか、かなり予想を外して普通に驚いた。子供の頃の自分が見たらびっくりするだろう。いや、4歳の頃なんて、そもそも恋愛がどうこうなんて考えてもいなかったか。

エヴァを思い出すと、私は人生を思い出す

少し大げさかもしれない。でも、アニメというものは、そういうものなのかもしれないと思う。フィクションだ。作り話だ。別にそれを見たから人生が劇的に変わるわけでもない。

それでも、その作品を見た場所がある。一緒に見た人がいる。そのときの自分がいる。分からなかったことがあって、何年も経ってから分かることもある。逆に、昔は分かったつもりだったのに、今では分からなくなっていることもある。

作品そのものだけではなく、その周りに積み重なった時間まで含めて、自分にとっての「その作品」になっていく。だからやっぱり、アニメって人生なんだと思う。

私にとってエヴァンゲリオンは、そういう作品だった。そしてこれからも私は、たぶんときどきアニメを見る。昔ほどたくさんは見ないかもしれない。新しい作品を全部追うこともないだろう。それでも、また何かの作品に出会って、何年か経ったあとに「あの頃、これを見ていたな」と思い出すのだと思う。

それでいい。たぶん、それがいい。
※この記事は作品の網羅的な解説ではなく、『新世紀エヴァンゲリオン』から『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』までを見てきたスタッフ個人の記憶と感想を中心に書いています。
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